大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)46号 判決

上告人

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

貞家克己

外六名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人貞家克己、同菊池信男、同宮村素之、同森脇勝、同相川俊明、同柳本俊三、同星晃一の上告理由について

公共用財産が、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなつた場合には、右公共用財産については、黙示的に公用が廃止されたものとして、これについて取得時効の成立を妨げないものと解するのが相当である。これと趣旨を異にする所論引用の大審院判例(大正九年(オ)第八四一号同一〇年二月一日判決・民録二七輯三巻一六〇頁、昭和四年(オ)第二八九号同年一二月一一日判決・民集八巻一二号九一四頁)は、変更されるべきであり、また、その他の引用の大審院判例は、事案を異にし、本件に適切でない。

これを本件についてみるに、原審の確定するところによれば、(一)本件係争地は、公図上水路として表示されている国有地であつたが、古くから水田、あるいは畦畔に作りかえられ、本件田あるいはその畦畔の一部となり、水路としての外観を全く喪失し、本件係争地及び本件田は、被上告人の祖父が訴外伊達宗基から借り受けて小作していた当時から、幅六〇糎ないし七五糎程度の細い畦畔によつて合計四五枚の水田に区分けされていた(原判決別紙図面参照)、(二)被上告人は、昭和二二年七月二日自作農創設特別措置法により上告人から本件田の売渡を受けたが、その当時の本件田と本件係争地の位置関係及び使用状況は、被上告人の祖父が耕作していた状態と全く同様であつたため、被上告人は、本件田及び本件係争地を含んだ水田と畦畔全体を売り渡されたものと信じ、水田あるいは畦畔として平穏かつ公然に本件係争地の占有を続けたというのであり(この事実の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができる。)、右事実によれば、本件係争地は、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、被上告人の祖父の時代から引き続き私人に占有されてきたが、そのために実際上公の目的が害されることもなく、もはやこれを公共用財産として維持すべき理由がなくなつたことは明らかであるから、本件係争地は、黙示的に公用が廃止されたものとして、取得時効の対象となりうるものと解すべきである。これと同旨の見解に立つて本件係争地に対する被上告人の取得時効の成立を肯定した原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(岡原昌男 大塚喜一郎 吉田豊 本林譲 栗本一夫)

上告代理人貞家克己、同菊池信男、同宮村素之、同森脇勝、同相川俊明、同柳本俊三、同星晃一の上告理由

一、原判決は、本件係争地すなわち同判決別紙図面B、C、D、F、G、Hの各土地は、公図上青色に塗り分けられて水路として表示された土地であり、水路としての自然的な性格上当然に公共の用に供されている公物であることを認定しながら、「たとえ公物であるとしても、その公物としての外観が失なわれ、現に公共用財産としての使命を果たしていない場合には、時効取得の成否につき一般の私有地と法的取扱を異にする理由がない」との見解の下に、「本件係争地は、公図作成時こそ水路としての形状を保つていたかも知れないが、その後の年月の経過にともないあるいは水田に、あるいは畦畔にと作りかえられ、水路としての外観を全く失なつてしまつたものと認定するのが相当であり、被控訴人〔被上告人〕の占有は、このように公物としての外観を失なつた本件係争地に対してなされてきたものとみられる」として、被上告人の本件係争地の時効取得を肯定している。

しかし、原判決の右判断は、公物の時効取得に関する法令の解釈ないしその適用を誤つたものであり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

二、公物が取得時効の目的物たり得るか否かについて御庁の判例はないが、公物は公用を廃止した後でなければ取得時効の目的物たり得ないとすることは、大審院及び行政裁判所の累次の判例の示すところである。すなわち、大審院大正八年二月二四日判決(民録二五輯三三六頁)は里道につき、同大正一〇年二月一日判決(民録二七輯一六〇頁)は官有道路につき、同昭和四年四月一〇日判決(刑集八巻一七四頁)は公有水面につき、同昭和四年一二月一一日判決(民集八巻九一四頁)は下水敷につき、同昭和五年七月四日判決(民集九巻六四八頁)は神社境内地につき、行政裁判所大正一四年五月一四日判決(行録三六輯三四二頁)は河川敷地及びその附属建物につき、同昭和四年六月一〇日判決(行録四〇輯六〇一頁)は神社社地につき、同昭和七年三月一八日判決(行録四三輯一六七頁)は河川敷地につき、同昭和一〇年七月九日判決(行録四六輯五一三頁)は国有林野中要存置林につき、右の趣旨を明らかにしている。また、戦後の下級審の裁判例も、東京高裁昭和三一年二月一三日判決(下民集七巻二号三一八頁)、福岡高裁宮崎支部昭和三一年三月二六日判決(訟務月報二巻五号五頁)、青森地裁昭和三一年四月三〇日判決(下民集七巻四号一一二〇頁)、東京地裁昭和三五年三月三一日判決(下民集一一巻三号六五二頁)、東京地裁昭和三七年一一月一五日判決(下民集一三巻一一号二三二二頁)、盛岡地裁昭和四〇年七月二六日判決(訟務月報一一巻九号一二八一頁)等、その大勢は右大審院及び行政裁判所の判例を踏襲している。

このように、判例が公物は公用廃止のない限り時効取得の対象とならないとするのは、公物の不融通性からして当然の結論である。公物は直接に公の目的に供される物であるから、公物に対する私法の適用は、その公の目的の達成を阻害しない範囲に制限される必要がある。私人が公物を占有することによつてその所有権を取得し、その管理が私人に帰属することは、公物の存在目的と相いれないものである。また、公物中公共用物の成立要件としては、一般公衆の利用に供され得る形態を具備していること(形体的要素)を必要とすることはもちろんであるが、このほか、更に、これを一般公共の用に供する旨の行政主体の意思が加わることが必要である。人工公物においては公用開始行為によつて右の意思が表れるが、公用開始行為のない自然公物においても、それが自然のまま公共の用に供されているのは、その基礎にそのような行政主体の意思が存在するからである。このように、その物を公物として公共の用に供することが国又は公共団体等の行政主体の意思によつて定められている以上、公物の外観が変化し、また私人がこれを占有することによつて公の目的に供用することが事実上中断することがあつたとしても、右主体の意思はなおその効力を有するものであり、後述のように公物としての形体的要素を全く喪失したと目すべき極めて例外的な場合は別としてその物はこれによつて公物たる性質を失なうものではない。したがつて、私人が公物を占有している場合、行政主体による公用廃止行為がないのに、たやすく私人による所有権の時効取得を認め、その管理が私人に帰属することを認めることは、公物の本質に反するものであつて許されないというべきである。そして、このような公用廃止行為は、法律関係の明確の要請から明示的になされることを要するものと解すべきである(大審院大正一〇年二月一日判決(民録二七輯一六〇頁)、同昭和四年一二月一一日判決(民集八巻九一四頁)、行政裁判所大正一四年五月一四日判決(行録三六輯三七五頁)、同昭和七年三月一八日判決(行録四三輯一六七頁)。

しかるに、以上と異なり、公共用物につき明示の公用廃止行為がないのに取得時効の成立を肯定した原判決には、法令解釈の誤りがあることは明らかである。

三、もつとも、公共用物が公物として公共の用に供されるべき実体、すなわち形体的要素を全く喪失し、その回復が絶対不可能であるような場合には、公物たる性質を失なうと解する余地がある。そのような場合には、その物について、私人の時効取得を認めることが考えられよう。

しかし、それは、法律関係の明確の要請から、行政裁判所判例が「公物ノ形体的要件ノ喪失モ亦公物解消ノ一原因ト為スベキモノナルモ、公共ノ用ニ供セラルコトガ絶対的ニ不可能ナル状態トナラザル限リ、之ヲ以テ形体的要件ノ喪失ト為スヲ得ズ」(前掲行政裁判所昭和七年三月一八日判決)とするように、自然力又は人力によつて公共の用に供し得べき性質が失なわれて、その回復が、社会通念上永久的かつ絶対的に不可能であるような状態に立ち至つた場合に限られるべきである。

しかるに原判決は、本件係争地が再び公共の用に供せられることが絶対不可能な状態となつたか否かについて何ら説示することなく、単に本件係争地が以前公共用物たる水路であつたところ、その後の年月の経過に伴いあるいは水田に、あるいは畦畔にと作り変えられ、水路としての外観を失なつてしまつたとの事実を認定判示したのみで、たやすく本件係争地が公物性を失なつたものと判断しているのであつて、右の判示は、公物性の喪失についての判断として不十分であることを免れない。むしろ、原判決の認定した事実によれば、本件係争地にあつた水路は、それが山林や宅地、工場敷地等に改変された場合と異なり、単に水田や畦畔に作り変えられたというのにすぎないから、改変された部分を再度水路に復元することは比較的容易であることが看取されるのであつて、本件係争地は、被上告人が占有を開始した時点において、これを水路として復元し、公共の用に供し得る状態に回復することが社会通念上、永久的かつ絶対的に不可能な状態になつていたということは、到底できないものといわなければならない。しかも、本件係争地のうち幅員六〇センチメートルないし七五センチメートルの部分は、畦畔ないしは農道として存在していた可能性が極めて強い。そうだとすれば、右部分は公共用財産たる農道としての外観を備えていたというべきであり、水田に取り込まれた部分についても、既存の畦畔ないし農道を拡張することによつて公共用物たる農道として復元することが極めて容易な状態にあつたということができるから、この点からも、本件は、公物としての形体的要素の喪失によつて公物性を失なつたと認め得るような場合ではないことがら明かである。

したがつて、公物についても、その物が公物として形体的要素を喪失した場合には時効取得の対象となり得るとの見解を採るとしても、本件はそのような場合に当らないのであるから、被上告人による本件係争地の時効取得を肯定した原判決は、公物の時効取得の要件について法令の解釈ないしその適用を誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法を犯したものといわざるを得ない。

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